弓削丸の建造経過

弓削丸の建造経過

総トン数230トン程度の練習船代船をターゲットとして、平成3年(1991年)6月に練習船代船建造準備委員会が組織され、基本仕様及び研究実験設備を含む搭載機器等についての検討がなされた。

平成5年(1993年)1月、上記委員会は、練習船代船建造委員会へと発展し、更に具体的な建造仕様の検討が行われた。

平成5年度の補正予算において練習船の代船建造が認められたので、それまでの校内の検討実績をもとに、基本的な代船建造実施計画が立案され、建造仕様書が作成された。

公開入札の結果、三井造船株式会社が落札し、平成5年(1993年)7月23日建造契約を締結した。それ以来、限られた建造日程の中で設計打ち合わせ等、建造のための必死の諸準備が進められ、同年10月13日に三井造船(株)玉野造船所で起工式が行われた。

続いて、船台での船殻搭載工事と艤装工事も順調に進められた。船名の「弓削丸」は文化功労者の村上三島氏の御揮毫をいただいた。平成6年(1994年)1月18日、本校の樽見校長により、代船は「弓削丸」と命名をうけ、本校の練習船代船建造委員長野村教授の支綱切断により進水式が挙行された。来賓、建造関係者及び本校商船学科2年生全員に暖かく見守られながらの実に幸せな「弓削丸」の誕生であった。

進水後の艤装工事も順調に進み、海上公試において船体、機関及び各種機器の性能が確認され、同年3月30日本校実習船係留場において引渡しをうけた。

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